芝浜
しばはま三題噺由来の名作

あらすじ
酒に溺れた魚屋の勝五郎が芝の浜で大金入りの財布を拾うが、女房は「夢だった」と言い張る。改心して働き続けた3年後の大晦日、女房が明かした真実とは。
ここが聴きどころ
「よそう、また夢になるといけねえ」の名台詞。大晦日に聴きたい人情噺の最高峰。
意味・元ネタ・豆知識
客から出た三つのお題(芝浜・財布・酔漢)で即興で作った「三題噺」が由来とされます。財布を拾う→「夢だった」と言われる→改心して三年、という時間設計が効いていて、大晦日に聴きたい噺の筆頭です。
しばはま三題噺由来の名作

酒に溺れた魚屋の勝五郎が芝の浜で大金入りの財布を拾うが、女房は「夢だった」と言い張る。改心して働き続けた3年後の大晦日、女房が明かした真実とは。
「よそう、また夢になるといけねえ」の名台詞。大晦日に聴きたい人情噺の最高峰。
客から出た三つのお題(芝浜・財布・酔漢)で即興で作った「三題噺」が由来とされます。財布を拾う→「夢だった」と言われる→改心して三年、という時間設計が効いていて、大晦日に聴きたい噺の筆頭です。
談志の芝浜は別格。女房が真実を明かす場面で毎回泣いてしまう。「よそう、また夢になるといけねえ」で年を越すのが我が家の恒例です。
落語=笑うものだと思っていたら、まさか号泣するとは。夫婦の情愛って言葉にするとこういうことなんですね。
人情噺の王道。ただし演者を選ぶ噺だと思う。若手のはまだ女房の凄みが出ていなかった。聴き比べ推奨。
この「三年」という時間の設計が、噺を名作にしています。結び(サゲ)は、ぜひ本編で。
江戸の朝は早い。特に魚河岸で働く者にとっては、夜明け前がすでに仕事の始まりだ。しかし、この勝五郎という魚屋は、腕は良いのに酒が好きで、酒がないと夜も日も明けない、いや、酒があると夜も日も明けなくなる始末。 「勝さん、起きておくれよ」 女房のお咲が、起きる気のない亭主を揺すっている。障子の外はまだ暗いが、もうすぐ白みかけようという時間だ。
「……ううん、まだいいだろう」
「まだいいだろうじゃないよ。もう七つは過ぎてる。河岸に行かないと、いい魚は他の人に取られちまうよ」
「河岸なんてものはね、お咲、一日行かなくたって潰れやしないんだ。今日は虫の居所が悪いから、休む」
「虫の居所って、あんた、毎日虫の居所が悪いじゃないか」
「毎日悪いから、毎日休みたくなるんだよ。理屈は通ってるだろう」
通っているようで通っていない理屈をこねて、勝五郎はまた布団に潜り込もうとする。お咲はその布団を引っぺがした。
「冷たいよ、お咲、それはあんまりだ」
「冷たいのはあんたの方だよ。この間だって、五日も河岸に行かないで、家にある魚を食い尽くして、それから酒代がないから道具を売ろうとしたじゃないか。あたしが泣いて止めたから良かったようなものの」
「ああ、あれは魔が差したんだ。もう二度とやらねえよ」
「二度とって、毎晩魔が差してるじゃないか、あんたは」
情けない話だが、この夫婦、こんな押し問答がもう三月も続いている。勝五郎の腕は江戸でも評判なほど良かった。だが酒がいけない。飲めば気が大きくなり、飲まねば気が滅入る。仕事に出ても身が入らず、出なければそもそも銭が入らない。そんな暮らしを続けて、家財はだんだんと目減りしていく。
「なあお咲、正直に言うとな」
「今度は何だい」
「今朝方、いやな夢を見たんだ。お前が俺を捨てて出て行く夢だ。それで目が覚めたら、なんだか気が滅入っちまって、とても河岸になんぞ行く気になれねえ」
「そんな夢、見たいならあたしが今すぐ本当にしてあげようか」
ぴしゃりと言われて、勝五郎も黙る。お咲はため息をついて、亭主の枕元に座り込んだ。
「勝さん。あたしはね、あんたの腕を信じてるんだよ。あんたほど魚を見る目のある人は、河岸中探したっていやしない。それなのに、酒でその腕を腐らせちまうのが惜しくて惜しくて」
静かにそう言われると、勝五郎も胸にこたえるものがある。
「……分かったよ。行くよ、行きゃあいいんだろう」
「本当かい」
「本当だ。その代わり、今日は虫の居所がいいらしい」
軽口を叩きながらも、勝五郎はのそのそと起き上がった。お咲は手早く身支度を整え、天秤棒と魚籠を亭主の手に持たせる。
「さ、行っといで。今日はきっといい魚が入るよ」
表に出されると、朝の冷たい風が身にしみる。空はまだ紺色で、星がちらほら残っている。この刻限に外に出たのは、思えば何日ぶりだろうか。
「ちぇっ、早すぎるじゃねえか」
河岸の木戸はまだ閉まっていた。勝五郎は舌打ちをして、仕方なく浜の方へと足を向けた。潮の匂いが強くなる。芝の浜は、まだ夜が明けきらぬうちは、人っ子一人いない。
波の音だけが、ざざあ、ざざあと響いている。
「こんな時分に来たって、しょうがねえや。少し面でも洗って、時を潰すか」
勝五郎は浜辺にしゃがみこみ、海水で顔を洗った。冷たさに目が覚める。ふと足元に目をやると、何やら妙な物が波打ち際に転がっている。
「なんだ、こいつは」
拾い上げてみると、ずしりと重い。革の巾着だ。
「へえ、こいつは上物じゃねえか。誰か忘れ物でもしたか」
何気なく紐を解いてみて、勝五郎は息を呑んだ。
中には小判が、ぎっしりと詰まっている。
「お、おい……こりゃあ……」
手が震えた。数えてみると、四十八両。当時の職人の稼ぎからすれば、何年分にもあたる大金である。
「し、しめた……! これで、これで俺は……!」
勝五郎は懐にその巾着をねじ込むと、脇目も振らず家へと駆け出した。
「お咲! お咲! 大変だ、大変なことになった!」
戸を叩く音に、お咲は何事かと飛び出してきた。
「どうしたんだい、そんなに慌てて」
「見ろ、これを見てくれ!」
勝五郎は畳の上に、その革の巾着をどさりと置いた。中から小判がこぼれ出る。
「こ、これは……!」
「拾ったんだ、芝の浜で! 四十八両だぞ、四十八両! これでもう働かなくたっていいんだ、お咲!」
その日の夜、勝五郎は仲間内を家に呼び集めた。
「おい、みんな聞いてくれ! 俺あついてる男だ! なあ、酒だ酒だ、今日は俺の奢りだ、飲んでくれ!」
長屋中を巻き込んだ大騒ぎになった。徳利が何本も空になり、勝五郎は真っ赤な顔で上機嫌に唄など歌っている。
「なあお咲、俺あこれでもう魚屋なんぞしなくたっていいんだ。左団扇で暮らせるってもんよ」
「そうだねえ」
お咲は静かに、亭主の様子を見つめていた。
やがて夜も更け、酔いつぶれた客たちは千鳥足で帰っていった。勝五郎も座敷でひっくり返って、高いびきをかいて眠りこけている。
翌朝。
「勝さん、勝さん、起きとくれ」
いつもの声である。しかしその声には、どこか固いものが混じっていた。
「ん……ああ、お咲か……」
頭が割れるように痛い。昨夜の酒がまだ抜けきっていない。
「あんた、河岸に行かなくていいのかい」
「河岸? 何言ってんだ、行かなくたっていいだろう、俺は」
「どうしてだい」
「どうしてって、お前、忘れたのか。あの金があるじゃねえか、拾った四十八両」
お咲は、じっと勝五郎の顔を見つめた。
「あんた、何を言ってるんだい」
「何をって……」
「金なんて、拾ってやしないだろう」
勝五郎は、ぽかんとした顔になった。
「な、何言ってやがる。昨日拾ったじゃねえか、芝の浜で。巾着ごと持って帰って、それでみんなを呼んで飲んだじゃねえか」
「あんた、それは夢だよ」
「夢……?」
「そうだよ。あんたは昨日、いつものように酒を飲んで寝ちまったんだ。それで夢でも見たんだろう。金なんてどこにもありゃしないよ」
「そんな馬鹿な……! 現に俺は、それを持って帰って……みんなだって見てるじゃねえか、あの金を!」
「みんなも酔ってたんだろう。あんたが上機嫌で、拾った拾ったって騒ぐもんだから、話を合わせてくれてたんじゃないのかい」
勝五郎は必死になって家の中を探し回った。しかしどこにも、あの革の巾着は見当たらない。
「そんな……そんな馬鹿な話が……」
力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。
「お前……本当に、俺は夢を見ていたのか」
「そうだよ。あんた、酒の飲みすぎで、とうとう頭までおかしくなっちまったんじゃないのかい」
情けなさと恥ずかしさとで、勝五郎の目から涙がこぼれた。
「俺は……とんでもねえ阿呆だ。夢と現実の区別もつかねえほど、酒に溺れちまってたのか……」
「勝さん」
「いや、いいんだ、お咲。分かった。よぉく分かった。俺は今日から、酒は一滴も飲まねえ。そんで、真面目に働く。お天道様に顔向けできねえような暮らしは、もうたくさんだ」
その日から、勝五郎という男は変わった。
朝は誰よりも早く起き、河岸へ出る。仕入れる魚は目利きが良く、客あしらいも丁寧になった。酒はぴたりと断って、稼いだ銭は一文残らず貯めていく。
一年が過ぎ、二年が過ぎた。
長屋の連中も、初めのうちは「三日坊主だろう」と笑っていたが、勝五郎の変わりようは本物だった。
三年目の秋には、小さいながらも表通りに店を構えるまでになった。
「勝五郎さんの店の魚は違う」と評判が立ち、朝から客が絶えない。
そうして三度目の大晦日がやってきた。
その夜、店を閉めた勝五郎は、久しぶりにゆっくりと火鉢にあたっていた。お咲が茶を淹れて、その傍らに座る。
「あんた、本当によく頑張ったね」
「お前のおかげだよ、お咲。お前があの時、俺を叱ってくれなかったら、今頃俺はどこでどうなってたか分かりゃしねえ」
「勝さん……あたし、あんたに言わなきゃいけないことがあるんだ」
その声の調子に、勝五郎はふと箸を置いた。
「なんだい、改まって」
「三年前のあの夜のことだよ」
「ああ、あの夢の話か」
「夢じゃないんだよ、勝さん」
勝五郎は目を見開いた。
「な、なんだって……?」
「あんたは本当に、芝の浜で四十八両を拾ったんだよ」
「じゃあ、あの時お前が、夢だって言ったのは……」
お咲は、袂で目元を押さえながら、深く頭を下げた。
「堪忍しておくれ、勝さん。あたしが嘘をついたんだ」
「どうして……どうしてそんな嘘を……」
「あの時、あたしは大家さんに相談したんだよ。落とし物は届け出なきゃいけないってね。大家さんも、それがいいって言ってくれた。だから届けを出したんだ。持ち主が見つからなければ、いずれあんたのものになるって話だったからね」
「それじゃあ……」
「でもね、あたしは怖かったんだよ。もしこのままあんたにあの金を渡したら、あんたはますます酒に溺れて、働かなくなっちまうんじゃないかって。腕はいいのに、それを腐らせちまうのが、あたしは何より辛かった」
勝五郎は、言葉もなくお咲の顔を見つめていた。
「それであたしは、あんたが酔いつぶれて寝ている間に、みんなにも口止めをしてね。あれは夢だったってことにしてもらったんだよ。あんたを騙すようで、心苦しかったけど、あたしにはそれしか思いつかなかった」
「じゃあ、届け出た金は……」
「今日、受け取ってきたんだよ。持ち主は結局現れなかったからね」
お咲は、懐から一つの包みを取り出した。中には、あの日と同じ、革の巾着が入っていた。
「これがその金だよ、勝さん」
勝五郎はその巾着を、震える手で受け取った。三年前と同じ重み。だがその重みの意味は、まるで違って感じられた。
「お咲……」
「怒ってるかい」
「怒るもんか」
勝五郎の目から、大粒の涙がこぼれた。
「お前がいなけりゃ、俺は今頃どうなってたか分かりゃしねえ。この三年、俺は自分の腕一つで、店を持つまでになった。それを思や、この金なんぞなくたって、俺は胸を張れる」
「勝さん……」
「だがな、お咲。よくぞ言ってくれた。この金があってもなくても、俺はもう酒に溺れるような真似はしねえ。それだけは約束する」
お咲は涙を拭いながら、微笑んだ。
「勝さん、そう言うと思って、今日は奮発したんだよ」
そう言って、お咲は台所から、一本の徳利を運んできた。
「三年ぶりだ。今夜くらいは、いいだろう。あんたも、もう昔のあんたじゃないんだからね」
勝五郎は、その徳利を見つめた。懐かしい、あの香り。
「そうだな……三年もの間、よく我慢したもんだ」
お咲が盃に酒を注ぐ。とくとくと、心地よい音がする。
勝五郎は、その盃を手に取った。
ゆっくりと、口元に運んでいく。
湯気が、ふわりと鼻をくすぐる。
その懐かしい香りに、勝五郎の手が、ふと止まった。
「よそう。また夢になるといけねえ」
出典・脚色:話は公有(古典)。特定演者の速記に依らず自社作成